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パーリ語の『スッタニパータ』に初めて接してから、気がつけばいつの間にか十数年が経った。しかし、その間飽きることはなく、読むごとに新鮮であり続けてきた。『スッタニパータ』の魅力とは、まさにそこにあるのだろう。第四章、第五章には、私達が〈宗教〉と呼ぶところの「崇拝所」「教義」「信仰」「聖典」「戒律」のどれも認めることはできない。では、「一体、何なのか?」。その前に「何処かのカテゴリーに入れなければならない」という私達の思考法こそ、まず排除するべきなのだろう。
また、『スッタニパータ』を以降に生まれた「仏教経典」と連関させることを安易にすべきではない。『スッタニパータ』は単独で扱うべきだろう。それほどまでに違いすぎるということだ。
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